2016年03月30日

越中島の隠れキャラ

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普段はレール輸送用のチキしか見られない越中島線。
この日は滅多に走る姿を見せない、越中島貨物駅の隠れキャラが姿を見せてくれました。
DE10 1098に牽かれて越中島線を行くチキ数両の最後部に繋がれた、無蓋貨車のトキ29441です。
車体全体が非常にきれいな状態でしたので、定期的に行われる交番検査を終えて、住処に回送されるところかと思われます。

この貨車は「トキ25000形」と呼ばれる形式の最後期に登場したものの中の一つで、1976年に製造されました。
この形式は1966年から1976年の10年間のうちに4500両にも上る数が量産され、全国で活躍していましたが、その後コンテナ車への移行や貨物輸送自体の衰退などの原因が重なると次第に淘汰が進み、現在では希少な車種となってしまいました。

越中島貨物駅常備のただ1つの存在であるこのトキは、たまに短いレールを載せて運用に就いていたとのことですが、私はその様子を1度も見たことがありません。
何度か撮影してはいますが、全て検査上がりの回送として動いているものばかり。
1度くらいはレールを載せた状態を撮影したいものですが、最近越中島線の撮影はご無沙汰ですし、このトキがまだ存在しているのかすら分かりません…。|д゚)

この写真を撮影したのが2009年。
それからすでに7年の歳月が経ちますが、今も越中島貨物駅にいるのか、はたまた転属しているか。
いずれにしても、どこかで元気に活躍していることを願います。
あわよくば、もう一度出会ってその姿を写真に収めたいものですが…。果たして。

さて、撮影地は当時はまだ自由に立ち入りができた、新砂跨線橋上。
短編成の列車はこの位置から50mmの単焦点レンズを使って撮影するのが好きでしたが、それはもう二度と叶いません。
新砂跨線橋が老朽化のため立ち入り禁止になってしまったのと、駐車場と線路の間に高いフェンスができてしまったことが原因なのですが、ここは越中島線において多分一番メジャーな撮影地だっただけに、残念に思われているファンも多いのではないでしょうか。
私もここから撮れなくなったと聞いたときは、非常にがっかりしました…。

越中島線は単線にもかかわらず、このあたりの線路の両脇は結構スペースがありました。
複線準備用地だったのでしょうか。
しかし、その土地も隣接する施設などに売却(?)されて建物やフェンスが線路の間近まで迫ってきており、この頃のようにすっきりとした写真は撮りづらくなったとのこと。
これも時代の流れですかね…。

有名な撮影地がだんだんなくなってくる越中島線沿線。
今となっては全編成をバッチリ…と考えると難しいかも知れませんが、機関車や貨車にスポットを当てて、それを織り交ぜた風景写真をスナップするにはまだまだ可能な場所があると思います。

…もうすぐ沿線には色とりどりの花が咲くシーズン。
今度の土曜に運行があるなら、久しぶりに訪れてみたいものです。

撮影データ:
2009年3月 JR総武本線越中島支線 小名木川〜越中島貨物
Canon EOS KissX2 + EF50mm/F1.8U
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2016年03月23日

赤ガエルの思い出

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過日、熊本電鉄で活躍していた「青ガエル」こと元東急5000系が華々しく引退し、各地の鉄道ファンから注目を浴びましたが、ここ岳南鉄道にも同じ形式の電車が存在していたことはご存知でしょうか。
ただし、この車両は「青ガエル」ではなく、その塗色から「赤ガエル」と呼ばれていました。

…特徴的な大きな2枚窓に、下膨れの前面スタイル。
なるほど、カエルとはよく言ったものです。

観察してみると、乗降用ドアの窓がずいぶん小さく、高い位置にあることに気づきます。
ここから外の様子を見るにはある程度背の高さが必要だと思われますので、もしかしたら子供には不評だったのかも知れませんね。
それに、この造りでは駅到着時に車両の内外の様子が非常に分かりにくいのでは…と予想できます。
ホームではきっちり2列の整列乗車、ドアが開くと降車客が優先というマナーが守られないとトラブルの元になってしまうような気がしますが、ラッシュの激しい東急線で活躍していた頃はどうだったんでしょうね。

さて、この岳南線の5000系。
それまで使用されていた旧型車の置き換えの為に、1981年に東急電鉄から2両編成4本の計8両がやってきました。
これにより、岳南線の旅客用電車はこの車両で統一されることになります。
岳南線カラーであるオレンジ色に白い帯をまとった外見から、前述のとおり「赤ガエル」と呼ばれて親しまれました。
1996年に京王帝都電鉄から7000形がやってくるまでのおよそ15年間、岳南線の顔として活躍しましたが、除籍後は写真のように屋外に放置されたままになっていました。
塗装は剥げ車体は腐食が進行して、見るに忍びない姿になっており、今後どうなるのか気になっていましたが、2008年にすべての車両が解体され、5000系の面影は岳南線から消滅しました。

写真は運用を退いてだいぶん年月の経った、モハ5002形とクハ5102形の編成。
なぜか7000形が繋がっていますが、何のためなのかは分かりませんでした。
塗装が剥げたところから東急時代の塗色の緑色が見えており「これは保存というよりさらし首だよな…」と感じずにはいられませんでした。
しかし岳南鉄道としては、恐らく保存しているつもりはなかったのでしょうね。

…工場の煙突からはモクモクと煙が。そのためか、空もかすんでいます。
ここに来れば、そんな光景と5000系のコラボをいつでも見られるものと思っていたため、解体はちょっと残念です。
綺麗に塗装しなおしてもう一度走ってくれれば…とも思いましたが、車体全体の状態も悪く、そもそも岳南鉄道にはそんな資金の余裕はなかったんでしょう。

現行の7000形はオールステンレスボディーなのでだいぶん長持ちすると思われますが、もし次に置き換えがあった時にはどこの会社のどの車両がやってくるのか…。
ちょっと気になっています。|д゚)

撮影データ:
2004年3月 岳南鉄道(現:岳南電車)岳南線 岳南富士岡
Olympus C-720 Ultra Zoom (C-720UZ)
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2016年03月21日

ワムをかき分けて

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両脇の貨物線には、貨物輸送のワム80000形がぎっちり。
その間を「すみません…ちょっと通りますよ…」と言わんばかりにゆっくりと比奈駅に入線してきた、1両編成のモハ7001号車。
赤いFRP製のマスクに2枚窓を付けた丸みのある前面形状から、どことなく愛嬌のある顔になっていますが、全長18メートル級のオールステンレス製幅広車体で、岳南線の旅客輸送を支える主力車両です。

写真の車体を含む岳南7000形電車は、京王帝都電鉄(現:京王電鉄)の井の頭線で活躍していたモーター付き中間車の両端に運転台を設置して、ワンマン運転に対応するように改造したもので、1996年から1997年にかけて3両が岳南線にやってきました。
マメ知識ですが、この車両の車内スピーカーには京王帝都電鉄を表す「KTR」の意匠が残っていますので、乗る機会があったら観察してみてください。
…それを最後に確認したのは10年くらい前になりますが、まだあると思います。多分。|д゚)

ふとあたりを見渡すと、沿線に立ち並ぶのは大きな製紙工場。
この頃の岳南鉄道は、その工場群から荷受けされた紙製品を各地に輸送するため、有蓋車のワム80000形での貨物輸送が行われていました。
その後主流となるコンテナ車(コキ)の姿も見かけられましたが、当時のワム達の圧倒的な存在感と比べると、まだまだといったところでした。
この日ここにいたワムの色は青か茶でしたが、きれいに塗装されたばかりの鮮やかな色の車両もあり、年月の経ったちょっと色あせた車両もあり。
それらが混じり合って作り出す微妙な色彩のバリエーションが楽しかったのを覚えています。

賑わっていたように見えた貨物線ですが、実はその輸送量は右肩下がりでした。
この写真を撮影した2004年の貨物輸送量は、12.2万トン。
最盛期には100万トンに届きそうな勢いがあったことを考えると、ずいぶん衰退したものです。
その後、輸送手段が自動車(トラック)に本格的にシフトしていくと、鉄道による貨物輸送量の減少に歯止めがかからず。
結果、2012年3月に貨物列車の運行は廃止となりました。
それと共に、当時全国を見渡しても大変珍しかった「突放(とっぽう)」と呼ばれる貨物列車の入換方法も消えてしまいました。
写真による静止画では上手く伝わらない方法でしたので、この時にビデオカメラを持っていれば…と、悔しく思います。

輸送量の減少は貨物線だけに留まりませんでした。
旅客線の成績も振るわず、その輸送量は2004年度で69万人。
最盛期で年間510万人以上を乗せていた実績を考えると、もはや他に道はないのかと思わせます。
これらの状況を受けて、岳南鉄道が100%出資する子会社「岳南電車株式会社」が2014年に設立され、そちらに鉄道事業を移管して、現在に至っています。
岳南鉄道の主たる事業である不動産業や、筆頭株主である富士急行の業績から廃止は免れていますが、予断を許さない状況に大きな変化はないようです。

9.2kmの路線に10駅が存在するローカル線。
天気のいい冬の日には、きれいな富士山をバックに列車が走る光景も見ることができます。
今後も変わらず、その姿を私たちに見せてくれることを願ってやみません。

撮影データ:
2004年3月 岳南鉄道(現:岳南電車)岳南線 比奈
Olympus C-720 Ultra Zoom (C-720UZ)
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2016年03月19日

静鉄1000形洗浄中

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新清水駅から乗車した列車を長沼駅で途中下車し、何か面白い被写体はないものかとウロウロしていたら、偶然にも洗浄機に入ろうとする列車を見つけたので、すかさず撮影モードに切り替え。|д゚)

勢いよく吹き付ける洗浄液で、列車の前面が少しかすんで見えます。
列車が一旦洗浄機から抜けると、エンド交換をして再度入っていきましたが、その後は手洗いでしょうか。
清掃用具が見えています。
少し離れた場所からの撮影となりましたが、洗浄液の吹き付けやブラシが車体にかかる音はちょっと迫力がありますね。
それくらい強く洗わないと、汚れは落ちないのでしょう。
こんな様子はイベント会場以外では見たことがなかったので、とても印象に残っています。

…写真の列車は、静岡清水線で活躍する1000形の中でも最後期の1985年に製造された、クモハ1012号車とクハ1512号車で組成された編成。
最初期の列車が1973年製ですから、12年の年齢差があります。

オールステンレスの車体にカルダン駆動の抵抗制御車。
それにT型のワンハンドルマスコンを採用しており、パッと見「いかにも東急電鉄です!」…といったイメージです。
それもそのはず、製造は東急車輌。
しかもバッド社のライセンスにより製造された車両でもあり、これは東急7000系から始まる車両構造の革命の影響を大きく受けていることは明らかであることを意味します。
首都圏では東急電鉄を中心によく見られた造りですが、40年以上前に、しかも地方都市である静岡に、ピカピカのステンレス車がやってきた時の利用客のカルチャーショックは、相当なものだったかも知れませんね。

さて、車体前面をよく見てみると、運転席の上部に急行灯があるのが分かります。
これは1958年に始まった急行運転のために設置されたもので、この1000形にも引き継がれています。
さらに通過駅で旅客に注意を促すために、この形式にはミュージックホーンが搭載されていることは特筆に値するでしょう。
当時は名鉄のパノラマカーくらいにしか搭載されていなかったのでは?

残念ながら私がここを訪れるずいぶん前、1996年に急行運転は廃止され、生でそのミュージックホーンを聞くことはできませんでした。
しかし、2011年になって急行運転が復活。平日朝の下り列車に設定されているとのことです。
もちろん、急行灯もミュージックホーンも再度使用されているとか。
これは乗りたい録りたい!…でも平日朝か…うーむ。

先日(3月11日)に、1000形としては初めて1004号車が引退し、ヘッドマークの掲示や展示撮影会などが催され、一躍その手の業界でニュースとなりました。
それを押し出した存在として、新型車両のA3000形があります。
その第1編成が近日(24日)にデビューする予定となっており、これを皮切りにすべての1000形を置き換えていくそうです。

静岡鉄道を40年以上ひたすら走り続けた1000形は、間違いなく名車として、皆の記憶やたくさんの画像で語り継がれていくことでしょう。
いなくなる前にもう一度乗ってみたいものですが、東京から静岡へ直通する列車が新幹線のみとなってしまった現在、果たしてどうしようか…時間も資金もバカにならないし…。
…なんて考えている時点で、ダメですね。|д゚)

撮影データ:
2004年3月 静岡鉄道静岡清水線 長沼車庫
Olympus C-720 Ultra Zoom (C-720UZ)
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2016年03月17日

すごいぞ静岡鉄道

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静岡鉄道静岡清水線、長沼駅の案内板です。
とりたてて珍しい造りではないような…とお思いの方もいらしゃるでしょう。
しかし、ここで注目していただきたいのは発車時刻表の方です。
映りこみがあってちょっと見づらいですが、よくよく観察してみると、その運行本数の多さに驚かされます。
朝夕のラッシュ時間帯は約5分、昼間でも約6分間隔(撮影当時)と、首都圏のJR線も顔負けな頻度です。

それを可能としているのは、全線電化・全線複線の運行設備のおかげでしょう。
意外に思われるかも知れませんが、現時点では静岡県内に全線電化・全線複線の路線はJR東海道線と新幹線以外には存在しません。

全長11kmの路線に15駅がひしめく、いかにも地方の私鉄と言った感じの同線ですが、侮ることなかれ。
全駅に自動券売機・ICカードチャージ機とそれに対応する自動改札機が導入されており、自社製のプリペイドカードである「パサールカード」も存在しています。
また、信号方式は自動閉塞式、保安装置には速度照査付きのATSを採用して安全確保の面でも充実。
さらに列車(撮影当時)はすべて東急電鉄の血がたっぷり入った、ワンハンドルマスコンが採用されたステンレスボディー製の1000形で統一。
これだけ挙げても、如何に近代的な路線であることがお分かりになるでしょう。

一方、静岡鉄道はバス部門も存在しており、「しずてつジャストライン」と称してカバーする地方や路線もかなりのものですが、それでも同社の中核部門は鉄道線であるというから驚きです。
例を挙げると、撮影当時(2004年)の年間利用客は1162万人あまりで、旅客運賃での収益は約14億7560万円。
地方の鉄道線はどこも経営危機にさらされて、存続か廃止かの議論が尽きないというイメージがありますが、この路線はそんな状況とは無縁ですね。

今年からは新型車両もお目見えして、ますます盛り上がっていきそうな静岡鉄道静岡清水線。
都内からはちょっと遠くて頻繁に観察していくことはできませんが、今後の活躍に大いに期待が持てる路線として、次なる布石をどのように打ってくるのか注目していきたいところです。

車両に関しては次回の更新でスポットを当てていきますので、お楽しみに。

撮影データ:
2004年3月 静岡鉄道静岡清水線 長沼
Olympus C-720 Ultra Zoom (C-720UZ)
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2016年03月13日

潜入!五井機関区

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小湊鐵道の五井機関区内に、開業当時に使用されていたSLが保存されているのをご存じでしょうか。
アメリカのボールドウィーン製のものが2両、イギリスのベイヤーピーコック製のものが1両。
これらは千葉県の指定文化財になっており、同社の駅事務室に見学を申し出ると時間帯によっては許可が出て、構内を通って機関区の奥まで行くことができます。

今回はそのSLは置いといて、機関区内にある検修庫の様子に興味をひかれたので、撮ってみました。
途中に見学者に宛てた注意書きがあり「見学していいのはSL周辺のみ」「車庫には立ち入れない」との旨が記されていましたが、この検修庫はSL置き場を背にするとすぐそばにあること、そして建物内には立ち入らず、屋外からちょっと望遠を効かせてカメラを向けただけなので、この写真は全く問題ナッシングなはずです。|д゚)

年期を感じさせる木造の建物と、年式を重ねたと思われる古びた気動車。
そして、あたりにはほのかに油と木のにおいが漂っています。
これは本当に東京都心から1時間の場所にあって、平成の世に入って20年が経っている時代の光景でしょうか。
まるで昭和の時代にタイムスリップしたような…。
多分、その当時からこの光景は変わらずこの場所にあるんでしょうね。
左上に偶然写った近代的な建物だけが、自分の存在を今の世に戻してくれます。

さて、話をこの気動車に持っていきましょう。
色合いはあせているものの、現在と同じ小湊鐵道カラーをまとっていたことが推測できます。
また、基本的な車体構造(ヘッドライトの位置や前面の窓と貫通路)は現行のキハ200形と似通っているものの、造りが古いせいか印象はだいぶん違います。
カメラを望遠鏡代わりにしてよく観察してみると、この車両の形式は「キハ5800」であることがわかりました。
最後に検査を通したのは58年(まさか西暦ではないですよね)の12月のようですが、期限は61年12月に切れたままになっており、それ以来まともに動いたことはないと思われます。

…さらに歴史をひも解いていくと、なかなか面白い経歴を持った車両であることが分かります。
もともとこの車両は飯田線(の前身を含む)で活躍していた「クハ5800」と呼ばれた電車で、1960年に国鉄から譲渡され、気動車改造を施されて小湊鐵道にやってきたそうです。
もっと掘り下げると、その歴史は大正年間までさかのぼることになります。
国鉄の前身である鉄道院が、1914年(大正3年)に製造した貨客用電車に始まり、それから改番やら大きな改造を重ねて…と色々あったようです。興味のある方、詳しくは各自お調べください…。(;´Д`)

前述通り検査は61年で切れていましたが、意外なことに除籍は1997年(平成9年)3月。
旅客車両がキハ200形に統一されたのが1977年(昭和52年)ですが、その後も予備車として存在しており…つまり20年間は暇を持て余しつつ在籍していたことになります。

現在ではその任も解かれ、検修庫内で時の過ぎゆくままになっています。
…が、数年前に開かれたイベントでは、自走こそしないものの、キハ200形の手を借りて屋外まで動いたそうです。
もしもこれが本線を自走するとなったら、果たしてどれほどの集客力があることか。
一時的にはあのトロッコ列車をしのぐほどの注目を集めるかも知れませんね。

動かないからこその魅力もあるんですけどね。

撮影データ:
2008年3月 小湊鐵道 五井機関区
Canon EOS KissDigital X + EF-S18-55mm/F3.5-5.6 IS
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2016年03月11日

あの日から5年…

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3月11日。
いまさら改めて言うことでもありませんが、2011年に発生した東日本大震災から、今日で丸5年が経ちます。
この未曽有の大きな揺れ、そして何よりそれに伴って発生した巨大な津波により、非常に多くの尊いものが失われました。
人命、故郷、財産…。
それらを挙げれば数え切れない程ありますが、ここでは鉄道ブログらしい切り口で記事を書いていきたいと思います。

写真は小牛田駅の発車案内表示器。
かつて存在した快速「南三陸号」の案内が表示されていますが、この記事を書いている時点では、ここに「快速」も「気仙沼」も表示されることがなくなって久しいほどの時間が経過しています。

さて、南三陸号は仙台と気仙沼方面を1本で繋ぐ唯一の列車で、撮影当時はキハ28・58形の急行型気動車の黄金コンビに加え、キハ40形一般型気動車による増結車によって運転されていました。
東北本線の仙台から小牛田の電化区間は、その他の電車のダイヤに影響を与えないよう「大丈夫か?」と感じてしまうほどの爆走ぶりを展開していたことが思い出されます。
この列車は仙台〜気仙沼間を2時間ほどで結んでいましたが、着席しても直角でピッチの狭いボックスシートではちょっと辛い…と感じる利用者も多かったのでしょう。
キハ28形は指定席車として連結されており、座席はリクライニングシートで特急列車並みのグレード。
「え、この車両の形式は『キロ』じゃないんだ?」とお得感を味わったことも懐かしいものとなりました。

そんな列車も、当然ながら震災直後から運休。
気仙沼線のあまりの被害の甚大さから、復旧するまでもなく数か月後には時刻表から記述が削除されました。
現在では柳津駅から気仙沼駅まではBRTと呼ばれるバス輸送が行われていますが、JR東日本は不通区間の鉄道による復旧を断念する意向で、今後もBRTによる輸送を継続すると表明しています。
沿線住民の心境は複雑で今後も議論されることになりそうですが、復旧には莫大な資金と期間が掛かることを考えると、難しいかもしれません。

写真のように、小牛田駅の表示器に「快速」や「気仙沼」が表示される機会はまた訪れるでしょうか。
鉄道ファンである私個人としては、何とか鉄路が再び繋がってくれればいいな、と思っています。
そう易々と行かないことは分かっているのですが…。

撮影データ:
2004年7月 JR東北本線 小牛田
Olympus C-720 Ultra Zoom (C-720UZ)
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2016年03月09日

潜入!那珂湊機関区

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茨交時代(現ひたちなか海浜鉄道)の那珂湊機関区にて。
那珂湊の駅員さんに特別に許可をいただいて、機関区内を見学させてもらった時に撮った1枚です。

検修庫内には台車を外されて整備中の、スカ色をまとったキハ222の姿がありました。
車体の隣に台車が置かれているのがお分かりいただけるとおもいますが、普段は絶対見られない細部の様子を、至近距離からしっかりと観察することができました。
奥の車庫内には検査待ち?それともただの昼寝中なのかも知れない、国鉄標準色のキハ205が。
そして表の留置線には国鉄準急色のキハ2004も見られ、期せずして国鉄色の車両たちが1枚に収まった写真となりました。

各車両の紹介もしておきますか。
まず一番手前に写るキハ222は、もともと北海道の羽幌炭礦鉄道で活躍していた車両でしたが、その廃線と共に湊線にやってきたものです。
1962年製のこの車両は、羽幌炭礦鉄道から移籍してきたキハ22の最後生き残り(移籍してきた同形式2両はすでに引退済み)の1両で、もともと雪国を走っていた車両らしく運転席の窓に旋回窓を取り入れた最後の旅客列車でもありましたが、2015年の2月をもって営業運転を終了、惜しまれつつも引退していきました。

真ん中のキハ205は現在も湊線で活躍している車両で、元々は1965年に製造された国鉄のキハ20形。
JR西日本から水島臨海鉄道へと渡り歩いて、1996年に移籍してきました。
その途中で床材のリノリウム化、トイレの撤去、冷房化などの改造を施されており、オールシーズンでの運行が可能ですが、キハ20形の生き残りが少なくなっている現在では、主にイベントでの運用に供されているとのことです。

表に置いてあるキハ2004は、北海道の留萌鉄道の廃線と同時に1970年にやってきた車両です。
前述した通り、国鉄準急色に塗り替えられ長らく活躍していました。
板張りの床やヘッドライト脇にタイフォンが設置された珍しい車両でしたが、JR東海からやってきたキハ11形に押し出される形で2015年に引退しました。

話を戻すと。
整備・点検を一手に担う湊線唯一の機関区とは言え、そこは非電化ローカル線のもの。
必要最低限の広さしかなく、しかも整備のために取り外したものと思われる部品があちらこちらに置いてあるため、誤って蹴ったりして場所を動かしてしまわないように、慎重に道を選んで動いた記憶があります。

整備作業中の写真を撮影できればラッキーだったのですが、訪れた時間はちょうどお昼の12時ごろ。
みなさんお昼休み中だったのでしょう。人影はありませんでした。
その点も加味して、駅員さんも見学にOKを出してくれたものと思われます。
作業が始まれば、私の存在はお邪魔になってしまいますからね。

当時は「車庫を見学したいのですが?」と言えば「あぁ、いいよー。(本線に)出入りする列車には十分注意してね」とお返事をいただいて、簡単に見ることができたのですが、今はどうでしょうかね…。
経営は第三セクターのひたちなか海浜鉄道になり、社長さんも複数の鉄道会社を歴任した方に変わりました。
また利用客を増やす努力を惜しまない方針で、現在ではその成果が実り、かなり存在は有名になりました。

その影響もあって、おそらく一人が行けば「俺も俺も」となってしまうでしょうし、事故防止の観点から、昔ほど簡単にはいかないかも知れません。
ひたちなか海浜鉄道への訪問はめっきりご無沙汰となっているため、現状が分からないので何とも言えないのですが、今でもローカル線らしいおおらかな対応をしてくれればいいな、と思っています。

2014年には銚子電鉄と姉妹提携を結んだようですし、同社の仲ノ町車庫のように「入場券を買えばOK」みたいな方式になってくれば、ちょっとした増収にもなりますし、よろしいのではないかと思うのですが、果たして。

撮影データ:
2007年3月 茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)湊線 那珂湊機関区
Panasonic DMC-FZ30
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2016年03月07日

ちょっと早い春到来

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3月に入ってしばし。
春の足音が次第に近づいてくるのが、はっきりと分かるような気候になってきましたね。
まだ朝夕は若干気温の低い日が続いていますが、日中は2桁に届くことが多くなりました。
陽もだいぶん長くなり、撮り鉄をするにもいい時期になりつつあります。

さて、越中島線の小名木川手前には、線路際にきれいな花が咲くスポットがあります。
この日(3月上旬)は、ようやくその花を開き始めた梅とDE10のコラボを撮りに赴きました。
絞りを解放気味にして、咲き始めた白梅の花にピントを合わせて撮影したカットがこれです。
もっと列車をはっきり見せてもよかったかな…と思いましたが、これはこれで梅が強調できて、それなりによろしいのではないでしょうか。|д゚)
梅の他にも、菜の花がすでに咲いている様子や、紅い椿の花もこのカットからうかがえます。
法面の草がもっと生き生きとしていれば完璧なのですが、それを差し引いても春の花3コンボの贅沢。(*´ω`*)
そんな光景が垣間見える非電化ローカル貨物線が、自宅から数キロの位置にあるものですから止められません。
ここはもうちょっと待つと桜の花も咲き始めるので、今度はそれを狙って撮影に赴くのもいいかも。

年によっては枝に補強がなされていたりするので、これらの花や木々は沿線に住む方が管理をされているようです。
管理と言ってもガッチリ私有地の中で…という感じでもないので、このように堂々と公道から撮ることができます。
三脚を構えてじっくり…という撮り方もOKですが、狭い道でごく少ないとはいえ自動車の往来があるので、邪魔にならないようにしたいところですね。

この冬の東京は暖冬でしたから、例年と同じ時期でも花はよりきれいに咲いているでしょうか。
今年はまだこの場所に行っていないので分かりませんが、貨物列車の運転する可能性があって、かつ仕事が休みである土曜日に狙いを定めて、また撮影に赴きたいものです。

ちなみにこのカットは数年前の年賀状に採用したものなので、見るのは2度目だよ!という方にはごめんなさい。|д゚)

撮影データ:
2013年3月 JR総武本線越中島支線 新小岩信号場〜小名木川
Canon EOS 7D + EF24-105mm/F4L IS USM
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2016年03月05日

試運転の返しは…

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先日掲載した「のんびりくるり号」の試運転から、もう1枚。
木更津行きの上り試運転列車です。
先頭に写っている牽引機は、先ほど最後尾についていたDE10の1202号機になります。

下りの列車が横田駅を発車した1時間後に返しがやってくるので、時間まで第一小櫃川橋梁付近で撮影ポイント探しをしていると、菜の花がたくさん咲いている場所を対岸に発見したので、そこに陣取ることにしました。
季節は3月の中旬。春真っ盛りの季節感たっぷりな様子を写し込めるな!とワクワクしながら列車を待ちます。(*´ω`*)

絞りを解放にした上で、手前の菜の花にピントを合わせることによって列車をぼかす算段を決めたあと、春のうららかな陽気のもと、ぼけーっとしていると、向こう側からジョイント音と汽笛が聞こえてきて我に返りました。
気づくと、先頭のDE10はすでに橋梁の上にいるではありませんか。
しまった!出遅れた!と焦りながらカメラを構え、必死でシャッターを切ると、何とか決めていた構図に列車が収まった様子を確認できて、やれやれと胸をなでおろしました。

…で、帰宅してPCで写真をよく確認してみると。

\これ、どこにもピントが合ってねぇ!/

やっぱり慌てて撮るとダメですね。(;´Д`)
せめて三脚を使って構図とピントを固定しておけばよかったです。
その上絞りを解放にしているものだから、被写界深度が浅くなっていたのも敗因の一つとなりました。

この手の臨時列車は、もう久留里線を走らないかも知れません。
そう考えると、余計に悔しく血涙を流す思いです。(TДT)
でも、一足早く春の雰囲気をお届けできれば…と思い、あえて公開することにしました。
評価はマイナス方向へ下す方がほとんどだと思いますが「まあまあ悪くないじゃん」と、一人でもそう感じてくださる方がいれば救われます。

撮影データ:
2009年3月 JR久留里線 横田〜東清川
Canon EOS KissX2 + EF-S18-55mm/F3.5-5.6 IS
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