2016年06月30日

遺構を訪ねて…最終回

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最初からこの画像を出せばよかったですね。|д゚)
知識のある方からは、こんなもので4回も引っ張るなよ!というツッコミがありそうですが…。
ご覧のとおり、これらの遺構はすべて「神岡軌道跡」だったんですね。
それでは、この橋と神岡軌道について歴史をちょっとだけひも解いていきましょう。

神岡軌道は、現在高山本線の駅がある笹津駅(後に猪谷駅)から神通川沿いに伸びて、神岡駅に至る軽便鉄道でした。
神岡といえば鉱山が有名ですが、もともとはそこで産出される鉱石や硫酸を運ぶために開業した馬車鉄道が神岡軌道の前身であり、1910年に杉山駅から土駅間で運行が開始されました。
1915年には、笹津駅から杉山駅に至る路線が開業しますが、当時はまだ純然たる鉱石貨物専用の路線でした。
しかし周辺町村から貨物輸送のために解放を要望されると、それに応える形で市街地を通るように軌道の改修や乗り入れ準備がなされます。
そしてちょうどその頃、1922年に「神岡軌道株式会社」が設立されました。

…時代は昭和に入り、鉄道省飛越線(現在のJR高山本線)の建設が進むと、同線との並行路線を廃止するとともに、神通川の対岸にある猪谷駅へ乗り入れる計画が持ち上がります。
この時(1931年)に造られたのが「神通川橋梁」で、これが今回のテーマである「神岡軌道跡」で取り上げた大きな橋の遺構の基となります。
「大鉄橋」ともよばれたこの橋梁は、全長294m。水面からの高さは実に57mもあり、列車の窓からはまさに目もくらむような景色が広がっていたのでしょう。
軽便鉄道に相応しくない程の巨大さですが、それだけ神岡鉱山の貨物需要が大きかったことと共に、当時の運営母体であった三井鉱山の潤沢な資金があってこそ成し遂げられた工事だったのかも知れません。

神通川の対岸に敷設された国鉄神岡線(後の神岡鉄道神岡線)に貨客輸送の役目をバトンタッチし、1967年の廃線まで列車の往来を見つめ続けた大鉄橋…。

ここで改めて今回のテーマである写真を見なおしてみると、あの遺構の大きさの理由が納得できるとともに、当時隆盛を極めたであろう猪谷駅と大鉄橋の様子を少しでも後世に残すために、今なお、当時のまま保存されていることが分かります。
しかし、現地には案内や歴史を示すものが全くなく、ただ遺構が存在しているだけという現状は、何とかならないものでしょうか。
人知れずひっそり…という感じは個人的に大好きですが、せっかくこれだけのものがあるのですから、もうちょっとアピールしてもいいんじゃないかな、と思います。

以上、4回に渡ってのお付き合い、ありがとうございました。(=゚ω゚)ノ

撮影データ:
2008年6月 富山県富山市舟渡付近
Canon EOS KissDigital X + EF-S18-55mm/F3.5-5.6 IS
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2016年06月29日

遺構を訪ねて…第3回

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先ほどのアングルから、真後ろを向いてみます。
そこにも、コンクリ製の橋の一部と思われる建造物が存在しました。
写真からはちょっと分かりづらいかも知れませんが、山の奥へ向けて点々と続いています。

地図を見てみると、この先には大き目の水田が広がってはいるものの、それを抜けるとあとはひたすら山、山。
その水田の近くには「小糸」という小さな集落があるのですが、この橋の規模と比べると明らかにアンバランス。
ここに住む人の為に造られたものではないのか…?
もっとガッツリ山奥へ入っていくと発電所が2か所存在するのですが、それはどちらも水力発電所なので、火力発電の燃料となる石炭などを運ぶラインとも考えにくいです。

予備知識なしで訪ねた場所なので、この様子はかなりミステリー。
ですが、次の1枚でそのちょっとした気持ち悪さは氷解します。
さらに帰宅してから色々と調べてみると、なかなか面白い事実が分かりました。
次回、真相が明らかに。

つづく。

撮影データ:
2008年6月 富山県富山市舟渡付近
Canon EOS KissDigital X + EF-S18-55mm/F3.5-5.6 IS
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2016年06月28日

遺構を訪ねて…第2回

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神通川の対岸に渡り、下流方向へ10分ほど歩いたでしょうか。
それは突然姿を現しました。

ツタ植物に覆われた、まるでモノリスのようなコンクリート製の建造物が2つ。
しかもかなりの大きさ! 圧倒されます。
コンクリの劣化具合から察するに、とても10年や20年程度の「最近」に造られた様子ではありません。
位置からして、さっき見た橋脚に関係するものであることは簡単に推測できますが、これも橋の一部なのでしょうか?
だとしたら相当大規模な橋であったことをうかがわせますが、付近にはこれに代わる程の大きな橋は架かっていません。
ならば、なぜこの橋は使われなくなったのか。
そして、なぜ橋脚だけが残っているのか。
謎に包まれます。

つづく。

撮影データ:
2008年6月 富山県富山市舟渡付近
Canon EOS KissDigital X + EF-S18-55mm/F3.5-5.6 IS
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2016年06月27日

遺構を訪ねて…第1回

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…予備知識はゼロ。
もともと訪ねるつもりは全然なかったのですが、列車待ちの間に散策をしていたら偶然見つけてしまったので、ご紹介しますね。|д゚)

乗り鉄欲を満たすために、特急「ひだ」に乗ってやってきた高山本線の猪谷駅。
JR西日本とJR東海の境界であるここから先は「北陸フリーきっぷ」を使えないので、富山行きの折り返しの列車を待つことになったのですが、2時間近く列車がない…。
じゃあせっかくだし、その辺りをふらふらっと散策するか…と思い、歩きはじめました。

そして神通川を渡る橋に差し掛かった時。
ふと下流の方向を見てみると、何やら橋脚らしきものが見えてきました。
何だろう?見た目からして、かなりの大きさのようだけど…。
面白いものが見つかるかもしれないし、時間もたっぷりあるから、ちょっとたもとまで行ってみようか!
と、軽いノリで対岸(右側)を目指すことにしました。

つづく。

撮影データ:
2008年6月 富山県富山市舟渡付近
Canon EOS KissDigital X + EF-S18-55mm/F3.5-5.6 IS
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2016年06月25日

雨晴海岸にハットリくん

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8年前(もうそんなに前になりますか)の梅雨時に、北陸地方を訪れたときに撮影した1枚。
JR氷見線の越中国分〜雨晴間は、線路のすぐ近くに富山湾(日本海)が広がっており、天気の良い日にはとても美しい景色を楽しむことができます。
この区間に存在する海辺は「雨晴海岸」と呼ばれ、鉄道ファンならこの景色に列車を絡めて。またそれ以外のカメラマンには、初日の出が上る様子や夕焼けを、遠くに見える立山連峰と共に撮影できるスポットとしても有名な場所です。

私がここを訪れた日は、梅雨真っただ中の時期にも関わらず、割とよい天候に恵まれました。
ただ、遠くの景色はガスがかかっており、立山連峰の姿をうかがうことはできませんでした。
…この写真は、立山連峰に背を向く形での撮影になるため、もともと写し込める訳がないのですが。|д゚)
それでも海の様子や、ちょっと沖にある松の木をたたえた島(…とは言わないか。岩礁?)の景色は最高です。

そんな中やってきたのは、高岡行きの1両編成の気動車。車番は「キハ40 2136」と読み取れます。
ラッピングは、幅広い年齢層で知られているであろう、藤子不二雄作の「忍者ハットリくん」。
2004年3月27日から氷見線と城端線で運行が開始されたこの列車、絵柄にはいくつかバリエーションがあるようですが、今回はその全てを確認することはできませんでした。
この時撮影した車両の前面は、上部にピンクのグラデーション、下部には冬の立山連峰の絵が青と白で描かれています。
青い空と青い海にその車体の色彩が映えていて、大変よろしいかと。

しかし、なぜここに「ハットリくん」の列車が?…と、疑問に思った方もおられるかも知れませんね。
実は、藤子不二雄のF氏は高岡市、A氏は氷見市の出身なのです。
その二人が初めて出会った高岡市立定塚小学校も氷見線の沿線にあり、ハットリくん列車の車内アナウンスでも紹介されていました。
氷見線にゆかりのある列車が、氷見線の運用に就いている場面を撮影できたのはラッキーという他にないでしょう。

ただ、惜しむらくは逆光。
氷見線の列車本数を考えると、何も考えずに行き当たりばったりで出かけてはいいショットをモノにできないことと、この日は氷見線だけでなく他の線区へも訪れる予定でしたので、あまり長居ができなかったのが残念でした。
再訪できる機会があれば、今度はじっくりと腰を据えて撮影に臨みたいものです。

さて、この時は往復の新幹線(寝台列車)のグリーン車と、富山県・石川県を中心とするフリーエリア内において、JRの特急列車自由席に乗り放題がセットになっている「北陸フリーきっぷ」を使用したのですが、JR東日本が発行するこのきっぷは、もうなくなってしまったようですね。
似たようなきっぷがあるにはあるのですが、大人の休日倶楽部の会員専用のようで…。
原因はやはり、北陸新幹線の開業と在来線の3セク移行によるものでしょう。
これにより18きっぷのみを使用して高岡へ行くことはできなくなり、また富山・高岡・金沢の北陸3大拠点間の移動も、在来線特急の廃止で非常にうっとうしくなりました。
「何してくれてんねん!」といった心境ですが、こうなったら素直に新幹線を使うしかないのかな…。

速くて快適になるのはいいこと。
ですが、訪れる人全員が無条件で新幹線を利用したいと考えている訳ではありません。
そのあたりも、もうちょっと配慮してくれれば…と思いますが、JRも営利企業。
コストカットできるところは切り離して、儲かる路線に誘導したいのは自然な考えですよね。

まぁ氷見線の撮影に関していえば、東京から始発の新幹線で一気に新高岡(高岡じゃないのがちょっと!)まで行って、帰りに最終の新幹線を使えば日帰りも十分可能な訳ですから、便利で身近になったといえば、確かにそうですね。
…私はここ最近遠出していないせいで、心の中に何かこう…溜まっているものがあります。|д゚)
ヒマとお金とやる気の3大要素が揃えば、フラッと出かけることもあるかも知れません。

撮影データ:
2008年6月 JR氷見線 雨晴〜越中国分
Canon EOS KissDigital X + EF-S18-55mm/F3.5-5.6 IS
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2016年06月21日

嗚呼201−3

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三鷹電車区の検修庫内の窓からのぞく「クハ201−3」の文字。
車体はちょっと色あせている感じだけど、ただの中央・総武線で活躍していたカナリアイエローの201系でしょ?
…とお思いの方もいらっしゃるかも知れませんが、これは中央・総武線の歴史を語る上では絶対に外せない存在なのです。

かいつまんで概要を記述しますと…。
1988年12月、中央(緩行)線の東中野駅に停車中の103系(ラシ336編成)に、後続の201系(ミツ6編成)が追突する事故が発生。
後続列車の信号無視と、ATS装置の不適切な取り扱いが原因とされています。
死者2名・負傷者は実に116名にも上り、JR発足以降初めて乗客に死者を出すという重大事故となりました。

両編成(10両+10両=20両)のうち、18両は修理不能なほど激しく損傷したため廃車解体されましたが、衝突面から遠く、ダメージの小さかった「クハ103−278」と、写真の「クハ201−3」は一応の難を逃れました。
「クハ103−278」は、事故の翌年には他線区から来た車両の中に組み込まれ、ミツ6編成の代替編成として営業運転に復帰。それからいくつかの線区を渡り歩いた後、最終的には古巣の中央・総武線に戻り、1995年まで運用されました。
「クハ201−3」については、事故当時使用されていた「ATS−B型」から、より安全性を引き上げた最新の「ATS−P型」を緊急的に搭載して一時は運用に復帰しましたが、三鷹電車区の201系すべてへの搭載工事が完了すると余剰となり、同区で留置されたままになっていました。

その後新型車であるE231系が続々と投入され、2001年には三鷹電車区所属の201系はいなくなりましたが、この車両についての処遇は相変わらず。
この写真を撮影した半年後(12月)までそのままでしたが、同時期にクモヤ145形にサンドされる形で廃車回送が大宮へ向けて行われ、翌年2月に解体となります。
奇しくもこの車両がカナリアイエロー201系の最後の生き残りで、この解体と同時にその存在も消滅しました。

この車両は単に「事故編成の生き残りだから珍しい」というだけでは終わらないと思います。
電車区勤務の方にとっては、見るたびに「同じことを繰り返すまい」と気持ちを引き締めていくためには相応しい存在だったのかな、と。
廃車回送時にはたくさんの鉄道ファンがその最後の様子を写真に収めようとつめかけたようですが、果たしてその中でどれだけの人が興味本位よりも深い思いをもって撮影に臨んだのでしょうか。
もちろん、ネタとしては大きなものでしたし、最後の黄色い201系を撮影するチャンスだったこともあるため騒ぎになるのも分かりますが、せめてこの車両についての歴史を知っておいてくれれば、また少しは感じ方が違うのかな…と思います。
まぁ、事故当時にはまだ生まれていなかった若い学生鉄たちには、当時を知るおっさんが何を言っても馬耳東風なのかもしれませんが…。|д゚)

撮影データ:
2005年6月 JR三鷹電車区(現:三鷹車両センター)
Panasonic DMC-FZ20
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2016年06月19日

機関車に夏の花を添えて

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あっという間に6月も後半。
まだ梅雨は明け切りませんが、天気の良い日には「暑い!」と感じることもあり、季節は本格的に夏が近づいてきていることを物語っていますね。

そんな時期の越中島線。
春には梅や菜の花などで我々の目を楽しませてくれたとともに、シャッター欲もよくかき立ててくれたのですが、この時期にもそれに相応しい花がありましたよ。
小名木川からほど近い沿線で、背の高い八重咲きのダリアが私を迎えてくれました。
辺りの夏草が主張する緑の要素の多い中、黄色にちょっぴりオレンジが混ざったような明るい色彩がよく映えています。
そんな自然が作り出す美しい光景を目の当たりにしたら、撮りたくなるのが人情。即断でした。
今日最後の撮影地はここだな!と腰を据え、夕方の上り便である「工7282」列車を待ちます。

赤い機関車と黄色の花。それと緑の夏草。
これらを一つのフレームに合わせたら、果たしてどんな色彩の画に仕上がるんだろう…とワクワクしたことと、機関車に露出を合わせると花が思いっきりアンダーになってしまうので、どのように数値を設定したものか…と苦心したことを思い出します。
…で、結果としては、ご覧の通り。
花にピントと露出を合わせてカッチリ。バックの機関車はぼかしてハイキー気味に。
写真の上手な方の目にはどのように映るか怖くて聞けませんが、当時の自分の腕前にしてはよくできた方ではないか、と自画自賛してみたり。|д゚)
夏の花に夏草。運転士さんの服装は半袖シャツ。パッと見での季節感はよく表現できていると思います。

この時撮影した機関車はDE10の1098号機でしたが、5か月後の2009年11月に秋田車両センターへ送られ、廃車となっていたようです。
この日は昼頃から自転車で追っかけまわしていたとはいえ、これといった理由もなく撮っていたのですが、今回の写真が私が同機を撮影した最後のカットとなってしまいました。

次々と鬼籍入りしていく、宇都宮運転所のDE10。
主に越中島線で撮影していた同形式ですが、丹念に調べていくと「あぁ、これもか…え、これもかい!」といった感じで、ショックを受けることも少なくありません。
経年もありますし、そろそろハイブリッドな新型機関車に置き換わっていくタイミングなのかな…とも思いますが、その活躍ぶりを何度も被写体にしてきたこともあり、何のお別れもなしに彼方へ去っていくのは、少し寂しい気がします。
機関車も所詮はただの「モノ」なので、お別れも何もないじゃない、とお思いかも知れませんが、そういうところにも感情が移るのは、鉄道ファンならではといったところでしょうか。

…さよなら運転や廃車回送の場面で大騒ぎする輩や、そういう場所のノリや雰囲気は大嫌いですけどね。:p

撮影データ:
2009年6月 JR総武本線越中島支線 小名木川〜新小岩信号場
Canon EOS KissX2 + EF50mm/F1.8U
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2016年06月16日

大鉄最古!C108

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入梅の時期も近づく6月、およそ5年ぶりに大井川鐵道を訪れた時のこと。
その目的はもちろん、SL撮影!
それまで駅撮りでしか経験のなかった私でしたが、今回は初めて沿線に出ての撮影ということで、カメラを持つ手にもいつもより何倍も気合が入っていたことを覚えています。
…空模様は6月らしい、どんよりとした曇り空。
この天気の中、真っ黒なボディーのSLをどのような設定で撮影するか、非常に迷ったことも思い出します。

そしてカーブの外側で構えて待つことしばし。
C10 8が牽引する、大井川鐵道の看板列車である「川根路号」がやってきます。
この時はとにかく「SLの雄姿を大写しにしたい!」という思いがあったので、被写体をフレーム目いっぱいに納めることばかり考えていました。
その結果、もう左右に一寸の隙も無いほどギリギリの構図で撮影することに成功しましたが、一方でいわゆるSL撮影のセオリーを全く無視した画になってしまいました。

「SLは煙が命!」とも言われますね。
SLを正面から撮影しようとするときは、大抵は空間に余裕を持たせて、主に縦アンの構図で煙の上り方や向きまで表現するのが一般的な撮り方かと思われますが、この時は見事な黒煙を出しているにも関わらず、それを上手く表現することができませんでした。
まぁこんだけギリギリの構図では、それも当たり前ですね。|д゚)
また、この写真からは動体感を感じることができないんですよね…。
これでは、駅で止まっている状態となんら変わりのない様子しかみてとれません。
普段は主に電車…たまに気動車を撮る程度なので、SLのもつ要素を活かした写真を撮るにはまだまだ経験不足でした。
次の機会のための良い勉強にはなりましたが、果たして次回SLを撮るチャンスはいつになることか。(;´Д`)

あんまりダメ出しばかりしてもつまらないので、話題を変えますか。
このC10形は、1930年に国鉄(当時は鉄道省)が製造したタンク式の蒸気機関車。
大井川鐵道で活躍している8号機が、この形式で残る唯一の存在です。
この8号機、新製時は新小岩区に配置されていたとのこと。なんと…私の住処のすぐ近くにいたのか…。
まぁ私自身はもちろん、私の両親すら生まれていない時代のことなのですが、何となく数奇な運命を感じてしまいます。

当初は東京や大阪などの都市圏で活躍し、95km/hでの高速運転を実現したこともあったようですが、都市圏が電化されると地方へ異動し、普通列車や貨物列車として運転されていました。
しかし、その異動先では気動車の導入が進んだ結果余剰となり、C10形は1962年には全廃となりました。
廃車された同形式の中で、この8号機だけは岩手県のラサ工業に譲渡され工場内専用線で使用されていましたが、その専用線廃止後は観光列車として数年間運用された後、休車状態となっていました。
そこに目を付けたのが大井川鐵道。1994年に同機を岩手県宮古市から譲渡され、整備ののち1997年から営業運転を開始しました。
営業運転に就いているとはいえ、その実は動態保存なのであまりにも負荷のかかる運用はされていないようです。
また、現状において単機では4両しか客車を牽引できないとあって、増結が求められる繁忙期には別の蒸気機関車が充てられているようですね。

SL列車に使われる客車も、昭和初期に製造された古豪ばかり。
当時の状況を知らない私でも、そのレトロな風景には感動すら覚えます。
大井川鐵道においては、それらの保守点検や部品調達などに大変苦労されていると想像できますが、まるでタイムスリップしたような素晴らしい風景を末永く残してくれるよう、是非とも頑張って欲しいものです。

撮影データ:
2013年6月 大井川鐵道大井川本線 福用〜大和田
Canon EOS 7D + EF24-105mm/F4L IS USM
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2016年06月14日

231、バックショット

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常磐快速線を下っていくE231系を、後打ちで。
各駅停車を撮影していた時についでで撮影したカットですが、これはこれでなかなかの味わいがある写真になったかと。
被写体自体にそれほど目立った特徴はありませんが、写真の整理中に目が合ってしまったので(?)掲載してみることにします。

基本10両・付属5両で構成された堂々の15両編成は、通勤型電車で編成された列車としては最長を誇ります。
東海道線や宇都宮線などでもE231系の15両編成は運転されていますが、あちらの電車は「近郊型」ですからね。
そんな列車が車体を傾けながらカーブを抜けていきますが、その傾き方から察するに、それなりの急カーブのように見えます。
しかし、手前に速度制限の標識がなかった(単に私が見落としているだけかも知れませんが)ところを考えると、実は大したRではないのかも知れません。|д゚)
それでもこの「去っていく感」は、このカーブが上手く演出してくれている、と思っています。

…時間はまもなく17時になるかというところ。
この写真を撮影した6月においては日没までまだまだ時間がありますが、ほんのちょっと夕暮れっぽい色合いに写ってくれました。
前面(最後尾ですが)にはいい感じに日が当たっていますが、先の方の車両はイマイチです。
…が、あえてこういう光線状態を狙った撮影方法もあると、どこかで聞いたことがあります。
この写真はその法則に偶然ながらも則っているので、作品として成立している…と思いたいです。|д゚)

常磐快速線用のE231系0番台は、同形式が最初に導入された中央・総武線での運行開始からおよそ2年後の2002年に運行が開始されました。
同じ形式であり、一部の車両は中央・総武線の車両と続きの車番になっているものもありますが、設計的には多くの違いが見られます。
乗客として利用する視点から一番差異が分かりやすい個所は、ドア上のLED案内表示器でしょうか。
中央・総武線のものは1行表示ですが、この車両は2行表示となっており、上段は次駅案内やドア開扉の方向を表示すると同時に、下段に乗り換え案内や列車の運行情報などの表示が可能となっています。
ラッシュ時に総武線を利用している身としては「2行表示っていいなー」と羨んでいましたが、今後はもっと充実した性能を持つ、山手線にいた500番台が続々と入ってくるようなので…。|д゚)

常磐快速線のE231系も、気づけば最初の導入から14年も時間が経っているのですね。
まだまだ新しい列車…というイメージがありますが、ここ数年で製造された最新型の列車と比べると、性能的にも1世代前のものになっていました。
…最近は、新型車両が登場するペースがやたらと早くなったと感じます。
多くの線区を持つJR東日本管内では、その傾向が顕著ではないかと。
鉄道ファン的にはネタが豊富で大変よろしいのですが、登場から20年そこそこで車両が代替わりするのはどうなんだろう?という考えになるのも事実。
それは「もったいない思想」が根深くある日本人ならではの考えなのかも知れませんが…。

あ、最近の電車はリサイクル性も重視して造られているから、廃車発生品もあまり無駄にならないのか。
だったらもう、どんどん新車を造ってくださいな…なんてこと言ってたら、新性能を開発・設計する人の身にもなれ!
と叱られそうですね。|д゚)

撮影データ:
2009年6月 JR常磐線 金町〜松戸
Canon EOS KissX2 + EF70-200mm/F4L USM
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2016年06月12日

都電5501号車

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今日12日は、都電荒川線の荒川車庫で路面電車の日のイベントが開催されますね。
この記事をご覧の皆様は参加される、または参加されたのでしょうか。
それに合わせて前回の記事と同じく、2005年に開催された都電イベントでの様子をご紹介します。

この年は留置線の公開も行われたのですが、そこで前回記事にした7000形の次に見つけた被写体は、5500形のトップナンバーである5501号車です。
その歴史を、ちょっとひも解いてみましょう。

「防振防音電車」という触れ込みとともに、鳴り物入りで登場したこの形式。
アメリカの「電気鉄道社長会議委員会」によって開発された技術をベースに新機軸を多く採用した画期的なもので、その開発団体の名前をとって「PCCカー」という別名も持っていました。
5501号車において、どれだけの新機軸を採用したかを挙げるとするならば、その1つに運転機器があるでしょう。
回転するマスコンとレバーで操作するブレーキを左右の手で操作するのが、まぁ今も昔も日本においては普通ですよね。
しかしこれに至っては、なんと自動車と同じく足でペダルを踏んでアクセルとブレーキを操る仕組みになっています。
また、自動車でいうところのクラッチの位置にはデッドマン装置が設けられており、このペダルの押さえが緩むと非常ブレーキがかかるようになっています。
しかし異端児には付きものである不具合や故障が多く発生し、また運転方法がそれまでの常識を逸していたため、乗務員にはすこぶる評判が悪かったようで、1960年にはいわゆる普通の操作方式へ改造されています。

5501号車は都電の路線の中でも花形である、品川駅から銀座を経由して上野駅へ至る「1系統」で活躍した車両で、ご覧のとおり方向幕も「銀座」と表示されています。
また、車体前面の右側にある「1」と書かれた菱形の系統板も、当時を偲ばせるものの1つとして挙げられるしょう。
1系統が廃線され現役を退いた後は上野公園で保存されていましたが、雨ざらしの上保守もおろそかな状態で、保存というよりむしろ「置いてある」だけの状態でした。
1989年に荒川車庫へ移され、1991年に修復を行ったものの、それ以降はこれといった保守は行われず、ここでも屋根もなく雨ざらしの状態で置いてありました。
撮影当時の様子を見ても状態はお世辞にもよいとは言えず、塗装は所々剥がれ落ち、車体の一部は腐食しているのがお分かりいただけると思います。
保存の価値がありそうなのに、このままでいいのかな…と当時は思いましたが、転機がようやく訪れます。
荒川車庫に隣接して開設されることになった「都電おもいで広場」。
ここにきてようやくまともに静態保存されることが決まり、本格的な修復を施された後、今ではとてもきれいな状態で来場者にギャラリーとして公開されています。
また足踏み式の運転台も復元が行われ、PCCカーの名残を今に残しています。

紆余曲折ありましたが、最終的には幸せな道を手に入れた5501号車。
いつ解体されてもおかしくなかった危機を何度も乗り切ってきたこの車両に、是非今一度会いに行きたいものです。
知識がなければ、ただの「昔の電車」という感想しか持たないでしょうけど、こういった歴史を少しでも知ってから改めて見てみると、感慨深いものがあるのではないでしょうか。

是非今日は、おもいで広場にも足を運んでみてください。(=゚ω゚)ノ

撮影データ:
2005年6月 東京都交通局 都電荒川線 荒川電車営業所
Panasonic DMC-FZ20
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